悩まずにはいられない人

「悩まずにはいられない人」(加藤諦三著)を読了。

 

著者は、くよくよと悩みつづる人の最たる例がうつ病患者であるとし、「注目してほしい、慰めてほしい、哀れんでほしい、優しくしてほしい」とつらい気持ちを訴えるのは、「もっと愛して」「もっとこちらを向いて」というメッセージだと述べる。

そしてその悩みの真の原因は「甘えたくても甘えられない心の葛藤である」と指摘している。

幼少期に虐げられた家庭環境で育ってきた彼らにとっては、悩みを解決するよりも、問題をいつまでも嘆いているほうがずっと楽なのだ。 

 

 

私は1年ほど前まで、自分が悩んでいる状態や不幸である状態に、もはやアイデンティティーすら覚えているどうしようもない人間だった。

詳細な状況は割愛するけれど、愛着不安の強い子供だったので、周囲に甘えたり弱音を吐いたりすることも少なかったように思う。

 

だから思春期に差し掛かったあたりから、自分の悩みや不幸せを解決し、満たしてくれる誰かや何かをずっと求めていた。

しかし思考を他人にアウトソーシングした結果、この1年で大変痛い目をみたので、ようやくこのままではまずいと思い立ったわけだ。

結局のところ、自分の人生をコントロールできるのは自分しかいないのだ。

そんな当たり前のことにやっと最近気づいた。

どんなに愛していても、親や恋人や友人が私を幸せにしてくれるわけではないし、逆に私の人生や人格をコントロールしようととする人は、本当の意味で私のことを愛しているわけでもない。

 

 

本著の終盤、著者はこのように語る。

 

"いつも嘆いている人は「欠けているものを埋めたい。幸せになりたい。」という。

うつ病者は「自分に欠けているものは幸福の本質である」という。

そう考えれば幸福になる努力をしないでいい。

もともと人間は不完全なものなのだ。欠けているものを補って、工夫していくことに生きる意味があるのだ。"

 

"人が幸せでないのは、「幸せになれない」からではない。

「幸せになろう」としていないからである。

口では「幸せになりたい」と言いながら、彼らは絶対に自分の不幸を手放そうとしない。"

  

はっとした。

不幸を手放そうとしない。その表現がぐさりときた。

不幸な記憶を手放せば、あの時の私の悲しみは消えてしまう。悲しみや不安に立ち向かうために、何日も何年もずっと折れそうな心で闘っていたあの日々を、なかったことにしてはならない。

いつもにこにこして、穏やかに見えるかもしれないけれど、その下にある悲しい記憶と葛藤を誰かに分かってほしいとずっとずっと思っていた。

だけど、だからこそ私は、「幸せ」になるために「不幸せ」の執着から逃れなくてはいけないのかもしれない。誰かの力を借りるのではなく、自分の力で。

 

 

私の好きなアニメ「物語シリーズ」のあるシーンで主人公がこんな台詞を言う。

 

「幸せを過大評価するな。あらゆる幸せはお前にとってちょうどいいんだ。確かに僕は今とても幸せだ。だからこそあえて言うぞ。こんなもんはな、誰もが持ってて当たり前のもんなんだよ!」

 

 

私はいま「幸せ」になりたいと強く思う。

その幸せは、昔思い描いていた遥か遠くにある桃源郷ではない。

 

自分自身で思考し、前に向かって行動することで、健やかにしなやかに生きていきたいと、強い実感を伴って思う。

 

 

何だかしめっぽい投稿になっちゃったけど、今日はこれでおしまい。