やりたいこととやるべきこと

やりたいことがたくさんある。(主に趣味道楽)

やりたいことがどんどん積み重なっていって、逆にそれがストレスになる、おかしな話なんだけど。

あれも読まなきゃ、これも読まなきゃ、あそこも行かなきゃって。

 

もしかしたら、ほんとはやりたくないのに、やらなきゃって思ってるんじゃないんだろうか。

でもやりたいこととやるべきことの違いがあまりわからないんだよね。

やりたいこととやりたくないことの違いははっきり分かるんだけど。

 

何もない日曜日。何しよう。

やるべきことはいっぱいあるけど、何がやりたんだろう。ね。

ラジオ

ラジオはいいね。

テレビよりもずっといい。

 

音があっても、決してうるさくないし、なんだか聞いているだけで心が落ち着く。

同じメディアなのに、何だかテレビよりずっとゆっくり時間が流れているかんじ。

 

アニメが好きだから、テレビを手放す勇気はまだないけれど、そのうちテレビなんかいらなくなっちゃうくらい身軽になりたいね。

 

何となく

もうさー、何か書かないとやってられないよ。

誰かと話していると(よほど仲のよい人以外は)ぐっと自分の言葉を飲み込んでしまう。文章はいい。何も考えず、よどみなく自分の思いを文字にのせることができる。こんな風にさ、文章書いてるみたいにすーっと自分の思いが口から出てきたら、いいだろうな。

私は自分で話すより、文章書いてるほうが、自分の気持ちがわかる。

パソコンぱちぱちしているうちに、自分でも気づいていなかった思いが、すらすらと指先から出てきて、あー自分ってこんなこと考えてたんだなって。

不思議だよね。普通にしてる時は気づかないのに。

 

仕事はとってもつまらないけど、人生にはやりたいことがいっぱいある。

やっぱり数字を扱う仕事は向いてないみたい。

簿記の勉強もせずにすぐにやめちゃうのは逃げだから、とりあえず続けるけどね。

毎日同じことを繰り返して、ルールにしたがってものを仕分けして、1日のほとんどを書類とエクセルと過ごしてる。

職場の人たちは私たちの部署にストレスなんかないって言うけれど、私は毎日がすごーくストレスなんだけどな。

こんな風に死んだ時間を過ごしていたら、心も死んで行くようだ。

もっと生きた時間を過ごしたい。いきいきと何かのために捧げる時間。

誰かの役に立っているってことが実感できるような、自分の働きがかたちになるような、たくさんの出会いと新鮮味があるような、そんな毎日が欲しいって思っている自分がいる。

 

とはいえ、今に毎日は超絶ホワイトな訳で。私が望むような仕事は必然的に忙しくなる訳で。私は心の平穏を求めて、いまの会社を選んだから、ある意味で目的は達成されているんだよね。

人間ってわがままだなあ。

 

でも、どこかで見切りはつもり。

面白くないことを一生するなんて、人生がつまらなくなるからね。

つまらない大人なんてうんざりだ。というか、私にはあっていない。それだけ。

【鑑賞記録】13 Reasons Why(13の理由)

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アメリカやカナダで話題になり、青少年に悪影響を与える恐れがあるとして視聴規制もされているこのドラマ。

とりあえずどんなものか見てみたくて、NETFLIXの無料体験に申し込む。

 

予想以上に暗かった。

アメリカンピーポーたちがこぞってこれを見ていると思うと、ちょっと変な気分になるくらい。(アメリカ人=明るいという私の思い込みもあるのかもしれない)

多感な中高生たちがこのドラマを見たら、たしかに精神衛生上よくないような気がする。

「自殺を美化している」とは思わないけど、きっとあるタイプの子たちは、ハンナに共感しすぎてしまって辛いだろう。

 

人が自ら死を選択するとき、私たちはその死に理由を求める。

なぜあの人は死んだのだろう。彼女の身には何が起こったのだろう、と。

だけどその理由が一言で説明できるようなものなら、何かを変えれば物事が改善できるようなそんなシンプルな問題なら、きっと人は死を選択しない。

一つの選択が導かれるまでには、数々の出来事が複雑に絡み合い、互いに影響し合っている。

 

 

真実は人間の数だけあるから、本当のことなんてきっと誰にもわからないのだ。

だけど私たちは一つの真実を求める。

 

 

真実と同様に、このドラマでのもう一つのテーマは「誰が悪か?」ということだ。

自殺した人=善、死においやった人=悪という二項対立では描かれない。

 

きっと作中のハンナの行動にイライラした人も少なくないはず。

たしかにハンナは13人一人ひとりの行いによって死に追い詰められたが、ハンナ自身の立ち振る舞いにも問題がなかった訳ではない。

ブライスはハンナに決定打を下したクズ野郎だけど、ジャスティンの面倒見が良いところなど、悪人ではない場面も描かれる。

 

ティーンエージャーの自殺というセンシティブなテーマにおいて、「真実」と「善悪」という私たちの主観の根本ともなるような部分にゆらぎをかけているところに、このドラマの魅力がある。

【鑑賞記録】たかが世界の終わり

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(画像は映画.comよりお借りしました)

 

怖いものをみた。

 

家族というのは不思議なものだ。一番近くて、一番遠い。一番わかっているはずなのに、一番わからない。人間と人間の関係を表す縮図だと思う。

 

主人公は自分の死を告げるため、12年ぶりに足を遠ざけていた実家へと戻る。

 

その実家の食卓の張り詰めたる空気たるや。

家族喧嘩をする家庭なら分かると思うけれど、一言発すれば、毛玉が転がるように誰かの怒りがふつふつと沸き出し、誰かが甲高い声を上げ、誰かが罵声に怯える悪循環が始まる。家族喧嘩に理由なんてない。ただ持て余した不機嫌な感情を、目の前の遠慮のいらない人間にぶつけているだけ。

 

主人公は家族が怖い。

自分が12年ぶりに家に帰ってきたのは、久しぶりに家族に会いたかったからなんかじゃない、何か理由があることくらい、家族みんながお見通しだ。そして家族なんか本心では気にも止めていなかったのに、毎年みんなの誕生日にはカードを送って、紙切れ一枚の愛情をかざして罪悪感から逃れていた自分に家族も気付いているはずだ。

自分の軽薄さを少しも漏らさまいとするように、映画の中では主人公はあまり台詞を発しない。

 

家族も12年ぶりに帰ってきた主人公が怖い。12年も帰ってこなかったくせに、なぜ突然帰ってきたのか?その理由を会話の節々から必死に探ろうとする。

 

 

家族なのに。会っていなくても、顔を知らなくても、それでも家族のはずなのに。

家族に対して怖いという感情を抱くということ、それほどまでに悲しいことはない。

私の中では家族は絶対的な愛の存在で、怒っても、憎んでも、その愛は消えることがないものだと思っていたから。たとえ12年姿をくらましても、私の家族は、帰ってきた私のことを心から抱きしめてくれると思っていたから。

でももしかしたらそうではないのかもしれない。

人間なんてみんな結局全てを分かち合うことはできないのだから、いくら血の繋がった存在とはいえ、12年も会わなければ相手に恐怖を抱くのかもしれない。ふと自分の家族のことも頭によぎって怖くなる。

 

 

クライマックスの家族喧嘩では、それぞれの感情が渦巻いて大爆発する。

息子を受け入れたい母、日常からの逃げ場と暖かい家族が欲しい妹、全てをめちゃくちゃにする兄、気づいていながら何も言わない義姉。そして結局家族のことなんて気にもせず、自分のことしか考えていなかったエゴを突きつけられる主人公。

 

主人公はきっと心のどこかで期待していたのだ。 自分の余命があとわずかであることを知れば、12年間の心の隙間が埋まることを。だけどそれは幻想だった。たった一つのエピソードくらいで、空白の12年が埋まるはずがないのだ。失った12年はどんなかたちでも取り戻すことはできない。

 

「次は大丈夫だから」そう言ったけれど、きっともう彼がこの家には戻らないことを、誰もがうっすらと気づいている。鳩時計の鳩も、部屋をバタバタと飛びまわり、時計の中には戻らないで床で息絶える。

 

 

この映画のタイトルは「it's only the end of the world」、邦題にして「たかが世界の終わり」。

キャッチコピーは、愛が終わることに比べたら、たかが世界の終わりなんて。

 

 

世界が終わっても、家族の時間は流れ続ける。みんな不器用で、ぎゃんぎゃん泣いて、怒鳴って、罵倒して、それでもみんなどこかで家族のことをどうしようもないくらい愛している。

愛なんて砂糖菓子みたいな甘っちょろい感情じゃない。

不器用に喧嘩して、傷つけて、そういうのも丸ごと含めて愛なのだ。きっと。

失った時間は戻ってこないし、相手のことなんて最後まで理解できない。葛藤だらけだけど、愛は確かにそこにある。家の床に横たわる鳩時計の鳥のように、死してなお、彼の魂は愛する家にあるのだ。本当にこの解釈でいいのか分からなかったけれど、きっとこれでよいのだと信じたい。

 

もしそういう解釈じゃないとしたら、あまりにも悲しい映画だから。

だからこそ、きっとどちらにも解釈できるこの題名をつけたんだと思う。

 

 

母親は主人公に言った。

「理解はできないけれど、愛している。この愛はだれにも奪えない」

 

この台詞がこの映画の全てなんじゃないかな。

 

(最後に・・・・結局よく分からなかったのが、お兄さんは本当は全部気づいていて、日曜日を死の宣告の日にしないために最後をめちゃくちゃにしたのか、それともただ不器用で自分の感情を家族にぶつけたのか。正解はない気がするけど、もう1回みたらわかるのかな。)

鑑賞記録 溺れるナイフ

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画像引用:http://eiga.com/movie/83278/

人生のどんな一瞬においても、追いつけないほどに眩くきらめく人がいる。いつもずっと先にいるその人は、もはや幻想なのに、どんなときもその幻想が自分を支え続けている。破裂しそうに熱を帯びて、触れれば砕け散ってしまいそうな繊細な恋。

 

そんな幸せで、不幸せな恋があるだろうか。

 

漫画のネタバレを読んだら、すごく切なくていいなあと思ったので、もしかすると原作のほうがいいパターンかもしれない笑 でも、映像の雰囲気が好きだったので、監督さんが気になるな。

読書記録 春、バーニズで

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画像引用:http://amzn.asia/1nyPdI2

バイト帰りに時間を持て余して、図書館をぶらぶらしていたら見つけた。どこかで聞いたことがある題名と思ったら、研究会の人が卒論で使用していた本だった。「怒り」の作者の人だ、と気づいた。

何てことない当たり前の時間でも、その時間が過去になってしまえばそれはいつかは「当たり前」ではなくなる。過去の「当たり前」と現在の「当たり前」にはいつだってゆるやかなずれがある。

過去にあの選択をしていたらこうであっただろうという仮想の自分と、今を生きている自分。こんな風に、わたしたちはみんな、気づかぬうちにふたつの時間を生きている。でもきっと現実ってそんなものなのよね。現実は選択の積み重ねでできてるんだから。